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2005年11月22日

函館地区ハイヤー協会[概要]

第1章 ハイ・ タクの創始期

函館地区の自動車初登場

 函館地区の自動車初登場は、札幌(明治43年=1910年)より4年後の大正3年(1914年) 2月21日のことで、函館に陸上げしたアメリカ製フォード12人乗りを試運転している。これは、日高の浦河、 砂瑠太間の定期バス路線開設を目的として新設された北海道自動車共同組合の発起人の1人である函館区恵比須町博品館 (勧工場=デパートの前身)の主人が、同館前を芸妓等を乗せてスタート街の中心部を一巡したもので(時速21キロ、 6.4キロメートルを所要時間18分で運転した)、当時としては自動車のお披露目であろう。

 また、この年の春には渡島当別で農場経営を始めた川田龍吉(男爵)が東京から外国製乗用蒸気自動車(ロコモ・モビール) を持ってきて、当別の農場や函館ドック工場まで通勤用として使用したもので、3千円で買ったものといわれているが自家用車の第1号であって、 最近当別の農場から発見され当時の状況が再現された。

ハイ・タク事業の始まり

 函館におけるハイ・タク事業のはじめは、大正8年(1919年) 4月22日で函館区蓬莢町の磯貝吉次郎が1910年式幌型スチュトベーカー2台をもって開業しているが、ハイ・ タク事業者の草分け本道自動車界の先駆者であり、住民は進取の気風に富んでいた。この頃より車両1,2台で開業するものが出はじめた。

 

第2章 ハイ・タク事業の始まり

ハイ・タク事業の統合

 昭和15年9月15日戦時の第1次統合指令により、函館市内の普通旅客自動車運送事業者16業者(車両42台)を合併して、 相互自動車株式会社(代表下山三郎)を設立したのがそのはじめである。

 ついで同年11月12日第2次統合指令により市内の3業者(車両6台)を合併したが、同年函館合同自動車株式会社 (取締役社長大沼文雄)が設立され、地元35業者(車両65台)が合併された。

 昭和18年1月18日第3次統合指令により函館合同自動車会社をはじめ、函館地区の14業者(車両78台) を相互自動車株式会社が吸収合併して、函館地区ただ1つのハイヤー業者となった。

 当時の取締役社長は石田連治、取締役支配人は下山三郎で、資本金19万円、事業所6箇所、従業員47名、 この統合会社は函館地方の67業者、車両126台を統合したが、車両は軍の徴用や金属供出などのため半減し、 残ったものはすでに老朽化して運転できるものはごく僅かに過ぎず、しかも木炭”かま”を背負って能率があがらず苦労したものである。

L.P.G車の普及

 L.P.G(液化プロパンガス)が我が国で使用されるようになったのは、昭和36年ごろからであり、 当初はガソリンに比較して単価が1/2以下で、気化装置とボンベの交換だけで簡単に運行ができたので、燃料費の節減に大いに役立った。 当地区では最初に函館タクシー株式会社が昭和37年9月に車両5台に取り付け、翌年全車両がL.P.G車となった。その後L.P. Gが普及され昭和54年4月1日現在では管内のハイ・タク車両1,140台の94.3%1.075台がL.P.G車となっている。

函館ハイヤー協会(任意団体)の誕生

 昭和27年8月31日現在の事業者数は市部3郡部4計7社であったが、共通の問題に対応するため同年5年に函館ハイヤー協会 (任意団体)を設立、会長に瀬川祐一、理事堀田秋二、理事福岡萬之助、書記長に小栗富三郎の各氏が就任、運営にあたった。

 当時の加盟会社は、相互自動車株式会社、第一ハイヤー株式会社(後の第一交通株式会社)、函館タクシー株式会社の3社であった。

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